ブイラボミュージカル

query_builder 2025/01/17
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ブイラボミュージカル
滝井サトルのFacebookからの引用です。
お読み頂けたら嬉しく思います。

30年。
ひと口に言うには何とも形容し難い感覚ですが、阪神淡路大震災から30年が経ちました。

1995年1月17日午前5時46分。
確か火曜日でした。
当時大学生だった22歳の僕は、卒業論文の締切に追われ、ワープロを叩いていました。
「あ、地震や」と思った3秒後に、体験したことのない揺れと共に停電。「卒論、フロッピーに落としてへん!」のショックなど吹っ飛んでしまう体験したことのない、そして二度と体験したくない震度7の揺れ。2分くらいに感じた40秒強の揺れで、ひとり暮らしのボロアパートが倒れなかったのは今思うと奇跡だったと思います。
真っ暗の部屋をまさぐり、バイクの鍵を何とか見つけ、裸足のまま外に飛び出すと明かりは普段目にする阪神高速道路からの火柱のみでした。
行きつけの銭湯の煙突は無惨に倒れて道路を塞ぎ、近所の家々は軒並み倒れて道路にはみ出し、阪神電車の高架は落ちていました。
ただただ全身が震え、僕は無力でした。

スマホなどありません。もちろんガラケーも。
地道に仲間の安否確認にバイクで回り、その後実家へ。近くでは自動車教習の車がのどかに走っていました。夜、平和な家で、亡くなった方の数ばかりが増えていくテレビ中継に「神戸を捨てたんちゃうかな」と居ても立っても居られず、母を起こし大量のおにぎりを作ってもらい、再びバイクで神戸へ。

そこからの細かい顛末や体験はここでは割愛しますが、その後大学はもちろん休校になり、ボランティアをすると単位がもらえるから!という噂に齧り付き、避難所に通って自分に出来ることを務め…。
嗚呼、何たる不純なボランティア精神!汗
どうぞお叱り下さい。

あれから30年。
ひと口に言うには何とも形容し難い感覚です。
いろいろありました。本当に。
直後にはサリン事件、世紀を跨ぐや否や飛行機がNYのビルに突っ込んで以降、世界は混沌の様相を呈し、その後、この国は大きな津波にも襲われました。マスクを付け続けた期間も短くはありませんでした。

もちろん僕自身もいろいろありました。
振り返ると失敗と後悔と反省しかありません。
様々な地と職を流転し、旅立った家族もいれば、新しい家族も増えました。
2年前の今日、法人化した(株)Vラボ-ミュージカル。まさか自分が会社を立ち上げてまで演劇製作に携わるとは。人生は何が起こるか分かりません。
ちなみに2期連続の赤字です。人生はうまくはいきません。泣

日本は失われた30年だ、と言われることもありますが、得られたものも多いんじゃないか、僕はそう思います。
イチロー、本田圭佑、羽生結弦、大谷翔平を筆頭に多くのスーパースターが活躍し、サッカーだっていい所を狙える位置まできています。
スマホのお陰で世界は一気に近くなり、生活は考えられないくらい便利になりました。
何より僕自身、演劇の知見は勿論、共に作品を創る仲間をたくさん得ることが出来ています。
そう考えると失ったものは毛量くらいかもしれません。

今朝は5:46に黙祷しようとして、5:40に起きて二度寝してしまい結果5:49に黙祷。
そして生かされている感謝を呟きながらまた寝てしまい…。
あの日を忘れない!などと豪語しているにも拘らずこの体たらく。

それでも何の因果かここまで生かされている。
このことに感謝して、自分に成せる小さなことを成さぬまま生を全うする訳にはいかない!
最近はこんな感覚です。
相変わらずの楽しみ下手ですが、お客様に楽しんで頂けるよう、皆様のお陰を借りて、これからも楽しい作品を提供出来るよう、演劇の裾野を広げるべく、一歩一歩進んでゆく所存です。

あの揺れで落下して止まった目覚まし時計は、あの時を刻んだまま、僕と共にこれからも移ろいでいくと思います。
今日もボチボチ頑張ります。
長文をお読み下さり、ありがとうございました。
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ブイラボミュージカル

住所:東京都港区西新橋

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